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2019年3月26日火曜日

おすすめ感動映画「櫻の園」1990年版の感想。ネタバレなし。



春ですね。


春と言えば桜。

桜と言えば



「櫻の園」





もう、何の事かすら分らない方が多いのかも知れません




中原俊監督で1990年に公開された映画の話です。



・・・あれから約30年も経ってるんですね。

怖!

中原監督自ら2008年にリメイクされてますが、そちらは未見。




とても稀有で奇跡的な作品だと思います。



滂沱の涙

号泣

私的には、こんなドラスティックな反応ではなく

鑑賞始めて間もなく胸が痛みだし、やがて瞳がじんわりと濡れている

そういう心理作用を及ぼす作品でした。



勿論、否定的意見を述べる方もいらっしゃって



「それはそれでもっともかな・・・」

私自身認めるにやぶさかでは無いのですが

それについては後ほど







とある女子校で


春の創立記念日の定例行事、演劇部によるチェーホフの「櫻の園」の上演を前にした僅か半日ほどの時間に展開される物語。


女子校が舞台

季節は春


既に、この時点で胸キュンじゃないですか・・・?

いや、この感覚が先述した否定的意見に繋がるのですが




設定は良くても、それを活かすのは



脚本や演出という作り手のスキル

そして

俳優

勿論これらも大事な要素ですよね。



まず作り手のスキル



脚本について。

これといって派手な事件が起きるわけではなく、ただ

一人の演劇部生徒が前夜補導されたせいで「櫻の園」上演が中止になるかも知れない

この情報で醸成される不安感。

それが物語を牽引します。

しかも中止論のソースは不明確な伝聞。

演劇部生徒達だけでなく

観客側の不安もかきたてられます。

「せっかく稽古重ねてきたのにマジか」

見てる側に、こんな風に感情移入させるための描写も秀逸。

「卒業する三年生にとっては来年はない」

これだけでも、感情を揺さぶられますが

それだけではないのです。







「演劇部生徒の不祥事!定例行事中止すべきか?」



そんな議題での緊急会議の場で演劇部顧問の若い女性教師が上演中止論者相手に

泣いて抗議した

この部分も直接の描写はなく

伝聞情報のみです



問題になっている生徒の補導の件についても


伝聞情報だけが

生徒達そして観客に提示されるのみです。



伝聞情報っていわゆる「伝言ゲーム」状態になりがちですよね。



人から人に話が伝わってゆくうちに

話が歪み尾ひれがつく

多くの場合、事実よりも過激な方向に変化する。

実際、補導の件について、そうであった事が判明するのですが

伝聞情報が醸し出す不安感

その使い方が巧みだなぁと思いました。



しかも、実は「演劇部生徒の中にも上演中止を望む者が一人だけいる」



そんな構造になっています。

「地震でも火事でも起きて上演なくなれば良いのに」

彼女は、そこまで思い詰めています

これによって「上演は中止になるのか?」

このドラマが、よりスリリングになります。



脚本って人間の描写が重要ですよね?




この作品、メインキャスト以外、約二十人の演劇部員それぞれも個性的に描かれてます。

脇役のキャラ一人一人を表すセリフ、描写、演技も緻密に作り込まれていていて、それは、この作品を何度も見返すに値する理由の一つにもなっています。

そして、これによって先述した

「せっかく準備してきたのにムダになるのか?」

観客側にも、このドキドキ感が共有されるのです。





人間関係の核となるのは



ある三人の関係

これが、重要なポイント。

但し、作品の毀誉褒貶の理由を成す部分でもあります。

設定としての評価はともかくとして


中島ひろ子さん

白島靖代さん

つみきみほさん


このお三方の演技自体は


胸に迫るモノがありました(私的には)




演出については



複雑なカメラワークに驚かされます。

かなり緻密なコンテがなければ撮影不可能なレベルです。

といっても、無理に長回しをしたり、トリッキーなアングルに拘って不自然になっているのではありません。

役者さんの自然な動きを妨げないため、感情がもっとも効果的に伝わるため

そんな必然性有りき。

長回しで有名な某監督は頑ななまでにアップカットを排除しましたが・・・

この作品の優れた点の一つはアップの使い方です。

あるシーンなどは息詰まる思いで画面に見入ってしまいました。

辛口評論家として知られた田山力哉さんも、こんな風に評価されています。

「そのシーンなどには恍惚とさせられた」(「現代日本映画の監督たち」社会思想社 229ページ)


ここは前述した毀誉褒貶に晒されている人間関係設定に絡んでいるのですが・・・


恍惚


私は同意します





役者さんについて



全員オーディションで選ばれたそうです。


素晴らしい。


何が?

それは単に個人個人の芝居演技の巧みさに加え


女性が(あえてこう書きます)

人生の、ごく短い期間にのみ放つ事ができる

言語化出来ない

名状しがたきモノ

それが切り取られフィルムに定着しているからです。

最初に「稀有で奇跡的な作品」

そう表現した所以です。

しかし・・・



ここで、冒頭から、その存在を提示してきた



否定的意見

毀誉褒貶の毀と貶の部分

これについての話です。



公開当時、ある方が次のように評価しました(誰だったのか失念。女性だったのは間違いないのですが)


「少女には、こうあって欲しいという作り手のオジサンたちの願望」



当時の雑誌等に掲載された言葉だと思うのですが(まだネットはありませんでした・・・)

ソースは明示できません

しかし、この指摘は

痛い所を突かれた感

そのせいで強烈に印象に残っています。



「あの三人の関係性」なんか正に



「オジサン」というより「男」の「願望」

そう言うべきかも知れませんね。

「お前ら勝手に都合の良い美しい幻影でしかない少女像でっち上げて萌えてるんじゃねぇよ。キモ!」

冷静に考えてみると、こういう印象を抱く女性が多くても不思議ではないとは思います








この作品は実際、春に撮影され


一面の桜並木のカットや

演劇部の生徒達が校庭に満開で咲き乱れている桜を見ながら語らうシーンもあります。



桜は春になると鮮やかに咲き乱れ眩いばかりに生命の美しさを謳歌する

それに少女を重ね合わせ・・・

しかし、桜は毎年その季節を迎え花の盛りを迎えるが

少女にそれが訪れるのは一度だけ。限られた短い時間のみ。



こういう感傷に浸ってしまうのは

「男の願望」故に過ぎないのでしょうか?

先に述べた、女性がある時期に放つ

「名状しがたきモノ」

これも、私の妄想幻影に過ぎないのでしょうか?

・・・そうかも知れませんね。



女子高校生たちの意見、感想を聞いてみたい気もしますが

その渦中にある当事者だからこそ、見えない分らないモノもあるのかも知れません。


ともあれ、それが願望幻影にすぎなくても

私は、この作品に描かれた世界に酔いしれてしまうのです。

桜の花びら散る季節になると「櫻の園」思い出す猫着ぐるみ姉妹の姉。


















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