駅馬車
西部劇映画の古典
名作です。
まず文句なしに面白い。
問題は一つだけ。
ネィティヴ・アメリカンの描写。
この点は「そういう時代だった」(1939年!)
割り切って見るしかありませんが・・・
個人的にはジェロニモ側に感情移入してしまいます。
襲撃前に顔がはっきり映る数人は
本物のネイティヴですね
カッコいい
・・・
冒頭、シャイアン族がアパッチ族の情報を白人に伝えるというシーンがありましたが・・・
対立する部族同士で実際にこんな事もあったのでしょうか?
メキシコ人の妻がネイティヴ・アメリカン。
そんな事も実際に多かったのでしょうか?
メキシコ人、ネイティヴ、白人
この三つの人種の間の複雑な関係が匂わされます。
深く踏み込んで描かれはしませんけど
群像劇です。
様々な地位経歴価値観の持ち主たち9人が一台の駅馬車に乗り合わせる。
当然、対立も発生
呉越同駅馬車状態
9人それぞれキャラ立ちしてます。
困難な環境下で新しい生命が誕生
このパターン「駅馬車」がオリジナル?
新生児コヨーテちゃん役、もし存命なら80歳くらいですね・・・
危機に陥って絶対絶命→騎兵隊登場で助かる
このパターンのオリジナルでもあるのでしょうか?(サイレント西部劇時代、既にあったかも)
この作品では正に騎兵隊が急場を救ってくれますが、現代では海兵隊とか戦闘ヘリですね。
個人的には、このパターンご都合主義って感じで萎えます。結構ハリウッド映画多いですよね、このオチ。
ラスト騎兵隊(助っ人)来たけど役に立たなかった
こんなパターン外しの作品ってあるのでしょうか?
この作品の騎兵隊突撃ラッパでアパッチ蹴散らすという展開、昔は拍手喝采カタルシスだったのでしょうが・・・
とりあえず、ヤキマ・カヌートのスタントは時代によって変わる価値観に左右されないモノです。
英語版Wikiによればヤキマ・カヌートさん(昔はカナットって表記してたような・・・)
1986年に90歳で亡くなっているそうです。
主演はこの方
ジョン・ウェイン!
・・・
アメリカではレジェンド的存在みたいですが、日本では違いますよね。
かつての日本の映画ファンの間でのジョン・ウェイン定番ネタと言えば
身長
世代によって認識が異なります
50年代西部劇ブーム直撃世代=ジョン・ウェインは大男
「グリーン・ベレー」「ラスト・シューティスト」等晩年作品をオンタイムで知ってる世代=ジョン・ウェインって実は小さかったらしい?
それ以降の世代=ジョン・ウェイン?誰それ?
・・・
世代と関係無く古い映画も大好き派の私の意見
小さくはないような気がするけど公称193センチは?・・・
どうでもいい?
これが重要だった時代もあったんですね。
アメリカン・ニューシネマ以降、ハリウッド男性スターの身長問題のプライオリティは低下しましたが、ジョン・ウェインの活躍した頃は違いました
特に、ジョン・ウェインは強いアメリカの象徴を自他共に認める方
自身も偉丈夫でなければならなかった
晩年は、ベトナム反戦運動の高まりと共に、そういう価値観が崩壊。
ま、そこから10年ほどしてレーガンという大統領の誕生で流れが変わるというか戻るのですが、それは又別のお話・・・
「駅馬車」は戦前の日本でも公開されています。
日米開戦前ハリウッド映画も日本公開されていて、例えば
「オーケストラの少女」
この映画は、ある世代・・・といっても、今ご存命なら90歳過ぎの方々には人気あったようで、回想記等で主役の少女の名前と共によく取り上げられています
結構、ディアナ・ダービン萌えの日本男児がいたようです。
ま、洋画を見る層自体、今に比べれば少数派だったでしょうけど。
日本公開時、「駅馬車」見た方の体験談を二つ
深沢哲也さん
知らない?
西部劇好きの映画評論家です(故人。Wiki存在せず。1990年代に新聞で訃報見ました。)
深沢さんの著作。別タイトル別出版社でほぼ同内容の本もありましたが手放しました(床が蔵書の重みでヤバくなってたので) |
『大正10年東京生まれ。早大商学部から学徒出陣、シベリア抑留生活を経て昭和23年帰国。その後、報知新聞で映画記者ひと筋に十九年つとめ45年9月退社、フリーの映画評論活動にはいる。正統西部劇とチャンバラをこよなく愛し、ブベツをこめた名称〝マカロニ・ウェスタン〟の名付け親。』(「荒野と夕陽とガンマンと」深沢哲也 世紀社出版 著者の略歴)
ここに書かれてる通りイタリア製西部劇には否定的な方です。この点、個人的には合いませんが・・・
『昭和十五年の春、新宿武蔵野館でこの映画をはじめて見たとき、ぼくは画面にエンド・マークがあらわれても、しばしイスから立ちあがれないほどの深い感銘を受けた。その日は、午後一時ごろに映画館に入り、外へ出たのは九時すぎだったと記憶している。つまり、「駅馬車」を三回ぶっ通しで見たわけで、映画館にとっては、はなはだ迷惑な客だったに違いない。それ以来、ぼくは熱烈な西部劇愛好者になり、ジョン・フォードの大ファンになった』(「荒野と夕陽とガンマンと」187~188ページ)
こんな強烈な原体験刷り込みがあるとイタリア西部劇は邪道に見えてしまうのは仕方ないかも
後追い世代とは受けた衝撃の強さが違いますよね
もう一人の体験談
和田良信さん
和田さんの自伝。私の座右の書の一つ。 |
『大正9年栃木県足利市生れ。昭和17年第一高等学校を経て東京帝国大学法学部へ入学。翌18年12月学徒出陣にて海軍経理学校へ入校、第601海軍航空隊において終戦、海軍主計中尉にて復員す』(「白線と短剣」和田良信 昭和出版)
深沢さんは陸軍、和田さんは海軍に学徒出陣。どちらも大学に進学されているので、この時代では少数派ですよね。これは当時、洋画を見ていた層と重なると思います
ググったら和田さん2014年までご存命でした!
日米関係風雲急を告げる中、旧制一高の寮で友人と「日米もし戦わば」という話題になり、
友人曰く
『剣道じゃないが相討ちとなる場合だってある。相討ちで『ハイ、それまで』となればいいが、二回戦をやることとなったら、こりゃ問題だぞ』(「白線と短剣」94ページ)
和田さんは日本海軍航空隊をもってすれば
『俺はかなりの差で勝てると思う』(「白線と短剣」94ページ)
そう主張するのですが、友人は、こう反論します。
『じゃ和田の云う通り勝ったとしてだ、二回戦をどうする?なにしろアメリカは大金持の国だから、もう一番、もう一番とかかってくるんじゃないのかなあ?いつか道玄坂キネマで一しょに観た『駅馬車』を考えたって分るだろう。日本じゃとてもあんなスケールの大きい映画は作れないよ。スケールの大きい映画が作れる国なら、二回戦の軍艦だって作れると思わなくちゃならんよ』(「白線と短剣」94ページ)
この友人、並木正人さん、昭和14年旧制一高文科甲類6位合格という秀才
やはり慧眼の主ですね。
いや素朴に映画から発散されるモノに圧倒されただけなのでしょうか?
当時の日本人にとっては
グランド・キャニオンの画
これだけでも衝撃的だったはず。
この情報を共有しないまま日米開戦
戦前最後に日本公開されたアメリカ映画は
「スミス都へ行く」
民主主義を謳った作品だったという皮肉
観た人少なかったんでしょうね・・・
色々考えさせられる猫着ぐるみ姉妹の姉。何か考えてる(?)デカ猫氏。ヤキマ・カヌート並みのアクションを見せる玉猫どん。 |