「カメラを止めるな!」
皆様、ご存じの通り・・・
無名の作り手達の低予算映画が熱狂を巻き起こしたという点に於いても日本映画史上に残る作品です。
その流れに乗り損ねた者の記録です。
私が、この映画の存在を知ったのは
2018年7月31日
遅いですよね。しかもネットや口コミではなく
「ありがとう浜村淳です」というラジオ番組で。
8月3日から大阪の劇場で公開される前にスポーツ新聞の記事を紹介する、そんな内容でした。(私は大阪人)
この時点では浜村先生も未見。
もし、ご覧でしたらラストまで全部・・・
いや、それはご本人が都市伝説だと仰ってます。
脚本の完成度が高く評価されている、という話から
牧野省三の名言に繋げる事ができるのは浜村先生ならでは。
私のこの時点での作品に対する予備知識は
「ゾンビ映画の撮影が思わぬ展開に・・・」
その程度。
「面白そうな映画だな」
そう思ったので、以後この作品に関する情報を全て遮断。(楽しみな映画は白紙の状態で見るのがベストですよね?)
しかし、これが悲劇の始まり。
大阪で公開後、早速見ようと思いましたが
情報を完全シャットアウトしてたせいで、尋常ではない大ヒットだと言う事を知らず
普通に映画見る感覚で劇場に行き・・・
入場できませんでした。
で、その後、劇場に予約や客入りの状況を電話やネットで確認するも、連日満員。
それを何度か繰り返すうちに
「も、いいや。DVD化されたら見よう」
カルトB級映画レベルの作品がネットで広まって過大評価されてるだけだろ。
こんな風に完全に間違った結論づけをしてしまいました。
劇場鑑賞に執着しなかったのを悔やむ事になるとは知る由もなく・・・
先日、ブームから半年遅れで鑑賞しました。
面白かったし言われる通り完成度高い脚本でした。
しかし、あの熱い夏に劇場で見た人達と同じ感動や興奮は共有出来ていないと思います。
映画って総合芸術って言われますけど、時間や空気も要素だというのが持論です。
故に「カメラを止めるな」を2018年に劇場で見た方々と同じ熱量で語る事はできないのです。
古い映画の場合、過去に遡って同じ時間を共有する事は不可能ですが
「カメラを止めるな」に関しては、自ら、それを放棄したので後悔が残ります。
作品についての感想。
映画というフィクションが現実になるという展開。(ありがち)
しかも、その現実描写にリアリティがない。
この時点で醒める人が居ると聞きました。
私もそうでした。
でも、これもこの作品のギミック。
最後まで見たら納得なのですが前半で見るのを放棄した方もいるとか・・・
この部分以外にも前半引っかかるけど映画終わってみるとスッキリする箇所があり
二回目の鑑賞で答え合わせをする楽しみがある。
それも、この作品の優れた点ではあるのですが・・・
個人的には、そういうトリッキーな映画文法の部分よりも
キャラクター造形と、それを演じる役者さんに惹かれました。
登場人物すべて存在感ありますが、個人的には
終盤、大活躍するカメラ助手の女の子。(散々前振りしてるからキター!ってなりますよね)
映画スタッフとしては有能なのに日常コミュニケーションにやや難ありの娘さん。(子役の母親をBBA呼ばわりはダメ)
ある意味一番インパクトがあった女性プロデューサー。
そして、感動的だったのは・・・
可愛いけど「それ事務所的にNGなんでぇ」(悪気もやる気も無し)が口癖のヒロイン役が血糊汗まみれで奮闘するうちにリアル・ヒロインになり
俯瞰のラスト・カットを決める。
監督と奥さん、娘さんの関係が作品作りと共に変化していくのも良いですよね。
あのラストカット、監督が娘さんを肩車する事で成立するのは象徴的です。
言葉ではなく映像で語る。
これぞ映画ですよね。
で、このラストを更に盛り上げたのは、いかにも業界人風プロデューサーのとった行動だと思いますが・・・
彼は番組を成立させるため、ああいう行動をしただけ。
ではなく
現場で奮戦するスタッフ達の熱気に呑み込まれて
計算を超越した何かに突き動かされて行動してしまった。
ですよね?
で、観客は泣くわけです。
とりあえず、私はそうでした。
ネタバレお勧めする猫着ぐるみ姉妹の姉。突っ込む(?)デカ猫氏。 |
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